観光地でもなんでもない
寂れた過疎の山里の集落にでかけた。
1km圏内に点在する4軒の家はすべて星野さん。
そのうちのひとつがおふくろの実家で、
それ以上奥にはもう家がない。
子どもの頃、
その家でしばしば夏休みを過ごした。
カエル、ザリガニ、クワガタは獲り放題。
過疎の山村はワシには至福の憩いの場だった。
親との行動が恥ずかしい思春期も、
恋に忙しい二十代も、
そして今でも。
そこに行くのは楽しみで仕方ない。
おふくろは9人兄弟だったので、
そこに集う親戚連中のコミュニティも年齢・居住地・職業は幅広い。
40以上の年齢差でも、
もはや老人の仲間入りをしている人にも、
チャン付けで呼び合う。
その家のゴッドファーザーである叔父が3月末に倒れ、
植物状態が続いていた。
76歳。何分も脳に血液がまわっていない状態が続いたらしく
「もう意識が戻ることは期待しないでくれ」
と病院からはハッキリと宣言されていた。
最初に見舞いに行った時、
まさしく叔父は呼吸の唸り声だけ。
声をかけても反応することはなかった。
このお盆休みにも転院先の病院に見舞いに訪問した。
どのぐらいすごいのかわからないが、
それは相当驚異的&奇跡的に少しずつ言葉を発していると言う。
しかしやはり意味不明の言葉だったり、
実家に一時帰宅させてもそれがわからなかったというから、
意識が戻っているわけではないらしい。
手足もまったく動かないとのこと。
ワシはベッドで顔をのぞき込んで話した。
私「よお、また来たよ」
母「誰かわかる?秀クンだよ」
叔「ひ・へ・ふ・ん(秀クン)」
私「早く元気になってまた鮎とか自然薯とか食わせてくれなアカンよ」
叔「あゆ なへひゃうなあ(鮎、泣けちゃうな)」
私「また一緒にビールで乾杯しなきゃ」
叔「ひいるひょうひゅうひゃんほん。ひいるのひたいなあ」と目から涙。
(ビールと焼酎、チャンポン。ビール呑みたいなあ)
えええ!!!!????今これ、会話ができてるじゃん!!!!
すごくねーかい!!!!!
ワシ、泣きそうなんだけど、
叔父を病人扱いをしないように精一杯がんばった。
私「またくるからね」
叔「はやふほんふぉとふろく のおなあそ」
(早く来んとドブロクがのぉなるぞ)
叔「のひたいなあ、のひたいなあ」と言って泣き始めた。
私「よし!今度来た時は一緒に呑もう!」
と言って、元気に別れた。
そしてその足で思い出の過疎の家に出向いた。
いつもの親戚の顔がある。
そして、
物心ついたときからまったく変わらない景色がある。
そこに従兄弟の広クンが叔父の看護を終えて帰ってきた。
43歳。独身。百姓と看板施工の兼業。
寡黙な勤労オジサン。
イノシシ避けのためだと、
日が暮れたあと爆竹を鳴らしたので驚いた。
しかもそれは村に配布されているモノだと聞いてさらに驚いた。
そして静かに呑んだ。
ワシは生まれて初めて誰に催促されることもなく
仏壇に手を合わせる気持ちになった。
な〜んて、センチな気分のお盆。
最終日に病院に行ったら肋骨2カ所もヒビ入ってた。
一週間前に自転車で転んだのです。