その夏の終わり頃、
クルマで送っていく途中、
バッサリとフラレた‥‥というか、
単なる片思いが砕け散った。
相手にとってはすでに本命の彼氏がいて、
当時のワシなんて、
ほんのちょっと相手にしただけの
軽ーーーい存在だった。
でも伊藤秀一セーネンは
勝手にその恋が成就すると思っていた。
フラレてばっかりだった自分に
ようやくハッピーが訪れてきた!…ような気がしていた。
だけど叶わなかった。
永ちゃんの「ひき潮」の詞が
ピッタリと自分の気持ちにシンクロして
(いるような気がして)
何度もカセットテープを巻き戻して繰り返し聴いて涙した。
それ以来、遠い日の苦い思い出になったけど、
なぜか写真だけはアルバムに貼ったまま
ほとんど見返すこともなく、
それっきりだった。
そのフラレた娘(50歳)と
三十年の時を経て再会してしまった。
変わってなかった。
が、30年という月日は長い。
記憶なんて本当に曖昧だと思い知らされた。
別の同席旧友に指摘されるまで
同じコンビニでバイトをしたのがキッカケだったことを
二人ともまったく忘れてたし。
全く別の30年の人生を経て、
オジサンオバサンになって再会し、
懐古趣味的に昔を思い出すのが楽しいなんて
若者たちが聞いたら
ただの後ろ向きジジババの戯言だと思うかもだな。
でもこの歳になると
とてもいいことだと思うようになってきた。
若い頃のタフな自分を思い出し、
青臭い野望を思い出し、
夢に飢えた自分を思い出す。
あの当時と同じ
無謀でハングリーなワシを取り戻そう。
ミュージシャンかコピーライターにあこがれてた
二十歳の自分に50のワシは堂々と会えるか?
いま『働く』ことをテーマにシゴトをしている自分は、
これぞプロだと胸を張れるオッサンになったか?
変わったことも、
変わってないだらしないところも、
全部ひっくるめてワシ。
二十歳のワシに威張れる自分でいたいと思う。