豊田市唯一のデパートの階上で
ひるめしを食いながら、町の風景を見下ろしていたら、
籐で編んだ古い乳母車の存在が見えて、
ふと子どもの頃を思い出した。
正確に言うと、
思い出したのは自分のことではなく、
キコキコババアのことだ。
籐の古い乳母車を引き、
古紙回収を生業にしていた色黒で小さな婆さんだった。
あらゆる方面の通学路に出没しては、
古新聞やダンボールを集め生計を立てていた。
古い乳母車の車輪がキュルキュルと鳴り、
その擬音語がキコキコに変化して、
いつしか子どもたちの間で
キコキコババアとして定着した。
キコキコババアは
まったく愛想を見せなかった。
常に不機嫌な顔をして
登下校の子どもを憎々しげに睨みつけるので、
見かけると誰もが不気味がった。
ある日、通りすがりに
「キコキコババア!」と上級生が罵った。
するとキコキコババアは
乳母車の中に持っていたナタを振りかざして追いかけてきた。
それが宣戦布告の合図だった。
それ以来、子どもたちはキコキコババアの見かけると
「キコキコババア!」と叫びながら走り去る。
キコキコババアは石を投げて応戦した。
思えばひどい話だ。
やがてその噂が学区中で広まって
それがクレームになったのか教諭が警告を発した。
「この辺りで廃品回収のお仕事をされているご老人がいますが、
お仕事ですから邪魔をしないように」
誰もがキコキコババアの顔を浮かべた。
闘いは徐々に収束したけれど、
中高生になっても
乳母車を引くキコキコババアの姿を
しばしば見かけたりもした。
もうとうの昔に
亡くなってしまったんだろうけれど、
50を超えたワシが思い出すほど
強烈なインパクトだった。
ひるめしを食い終わり、
乳母車の見えた方向に足を向けた。
キコキコババアの半生に思いを巡らしつつ、
多忙な午後のシゴトに向かった。