弊社オフィスの都合で、
名駅や栄に足を運ぶのはほぼ日中だけで、
平日の宵に酒肴を囲む席は
ほぼ伏見だけで完結できてしまう。
馴染みの店主が迎えてくれて
無理な注文を聞いてもらえる場所がいくつかあるので、
新規開拓にはもうほとんど興味がない。
これぞオッサンの王道。
しかしかつて‥‥。
三十代半ばの血気盛んな創業まもなくのこと。
接待でママに顔が利かせられる
錦3のお馴染みができて悦んでいた時期があった。
東欧、西欧、南欧、北米からやってきた妙齢の外国人女性が働き、
場合によってはまったく日本語が通じない接客を受ける。
流しの黒人オジサンのギター演奏が
閉店の合図だったなあ…。
かなり風変わりな雰囲気の店だったけれど、
にぎやか且つ上品なラウンジだった。
そんな時代のある日。
その店で働くブロンド女史がワシの隣に座った。
客にまったく愛嬌を見せず、物憂げな表情を隠さない。
少しずつ話を聞くと、
大学を出たばかりで5ヶ国語を話せるし、
好きなことは『勉強』と答えた。
東欧の国の女らしく、
アメリカ型の考え方には否定的で、
コソボ紛争について西側NATO軍の非を力説していた。
日本の経済や教育についても興味を持っていた。
ワシも日本の職業観について必死のカタコトで語った。
その英会話がいつのまにか楽しくなり、
その店にしばしば通った。
どんな英会話教室も続かなかったのに、
この時のワシは
人生でもっとも英語を学んだ。
国際社会情勢についても詳しくなったし、
何より我がブロークンイングリッシュが通じるのが嬉しい。
動機型モチベーションは大事なことだ。
我が人生においては
学びの多い経験にもなったけれど、
やがて足が遠のき、その店に通うこともなくなっていった。
9.11のNY同時多発テロの時期辺りを境に、
スタッフもロシア中心になっていき、
いつのまにか閉店されていた。
あの時の各国の人々やブロンドの女史が
今どこでどんな暮らしをしているのかわからない。
どこかの国で陽気に暮らしているといいな。
今や錦3の店や銀座の店に行くのは、
年に1度あるかないか。
ワシが行かなくなっても街は賑わっているんだなあ。
錦を抜け出て伏見に戻り、
いつものバーで独り生ビールを飲み直した。