18時間も夜が続き、
吐いた息や排ガスで雲ができ、
薄暗く寂しい風景が広がり、
何枚も重ね着を強いられ、まつげが凍り、
掘っ立て小屋の寒すぎる空港で何時間も待たされ、
ウオトカで酔っ払い、
永久凍土の土地の傾いた家‥‥。
見たこともない風景を想像していると、
その極寒を体験してみたくなる。
エッセイに登場する旅団は、
江戸時代に遭難して何年もかけて日本に戻った
大黒屋光太夫たちの海路と陸路をなぞっているんだけれど、
30年以上も昔のソ連を旅する本書のシーンも
遠い過去の風景なんだろうな。
真冬の岩手で吹雪の道を
運転した経験がある。
日中でもほんの数メートル先の
視界がなくて相当ビビった。
あの体験よりももっと険しいんだと思うと
想像すらできない。
名古屋で暮らしていると、
冬用タイヤすら所有していないし、
どっちかっていうと、
沖縄とかハワイのような生ぬるい情景に
憧れるんだけれど、
なぜか厳冬の世界に引き込まれる。
薄ら寂しく厳しい冬という
演歌のような風景に心が動くのは、
やっぱり日本人ならではないんだろうか。
長い電車に揺られ、
『シベリア追跡』を読み耽って、
昭和の路面電車の町に辿り着いて、
「この辺りも昔はもっと賑わってたんですよ」
なんて話を聞いて、
移ろいゆく時間を過ごすワシもまた
刻々と髪が白くなっている。
昔ながらの装丁のままの
文庫本の文字はだんだん読みづらくなっている。