空き家を視察した。
玄関を入ると土間があり、
台所にはオール電化の真逆の竈があり、
お茶の間には黒電話と真空管ラジオが置いてあって、
振り子の柱時計がまだ動いている。
さながら「サツキとメイの家」のようだ。
家族の誰かが旅行で行ったのか、
はたまた土産だったのか、
二見ヶ浦という文字と夫婦岩のイラストが刺繍された
ペナントが壁に飾ってある。
昭和博物館だ。
『照代のワゴンRキー』
という手描きのタグを付けた
クルマのキーも柱のフックにかかったまま。
まだ生活臭が残っていて
そのままドラマのロケ地になりそうだ。
いや、観光に来ているではない。
仕事のための必要な視察だ。
うまく活用できる方法はないだろうか。
ああ、考え甲斐がある仕事だなあ。
「クルマのキーの持ち主の照代ちゅうのが
ここに住んどったお婆さんのことじゃんねえ。
こないだ亡くなっちゃっただよ。
もうだあれも身内はこの家にゃ帰って来んもんでさあ」
三河弁のイントネーションで話す役場の人は
さして深刻な表情は浮かべず、
淡々と事実として伝えてくれた。
おそらくこんな事例は
数え切れないほどたくさんあるのだろう。
陽が傾いてくると、
都会の賑やかさが恋しくなるけれど、
こういう自然の中での暮らしは、
これからの労働社会を考えていく上で
重要なんじゃないかと思う。
高度経済成長の時代から
過疎の問題はなかったわけじゃないけれど、
古いモノを捨てていった
当時の課題感とは時代が変わっていて、
これからはこの資源を
活かす方向で何か考えられないだろうか。
このとおり、
ワシは一生懸命働いてる。
ドライブに来ているのではない。
くれぐれも。