思えば東山線での通勤歴は30年だ。
いったいワシはこの路線を
今日までに何往復しているのだろう。
あと何回この地下鉄に揺られて移動するのだろう。
今から30年後の朝、
もし達者だったとしても、
まさか通勤はしていないだろう。
そんなことが頭をよぎったら、
この湿気にイラつきつつ通勤・通学している
人混みの風景がとても愛おしく思えた。
この何気ない毎日は
どえらい幸せな瞬間なんじゃないか。
平凡かもしれんが、
仕事に出かけて働いて、
仲間と酒を呑んで帰路につく。
こりゃサイコーにハッピーなことじゃね?
と、感じたまま
素直な気持ちになって社内で語ったら
「ナニ悟りの境地みたいなこと言ってんですか?」
「いよいよ隠居の準備ですか?」
と冷たくあしらわれた。
なるほど。
ジジイの小さな、
しかも内向きな幸せ感なんて、
挑戦する若者たちにしてみたら
枯れた年寄りの戯言。
だけど、ジジイにとって
地下鉄東山線で通勤する時間は、
間違いなく有限だ。
薄く枯れた通勤風景に
馴染みきってしまうんじゃなく、
色濃くキラッキラの眼をしたジジイになって
若者たちをビビらせてやる!