2020.01.21
タヌキの親方の歌声が聞こえた時代を思い出す
今日、栄の丸栄跡地を歩いていたら、
ギターケースを持った色黒でボサボサ髪の老人を見た。
「まさかあのタヌキの親方なのか?」
ふと20年以上昔の思い出がよぎったけれど、
それほど老けてはいなかった。
そしてかつてのタヌキの親方はどうしたんだろう。
まだ元気でいるだろうか。
と、当時の記憶がよみがえってきた。
1990年代後半。
タヌキの親方は人通りの少ない
栄一丁目の公園のブルーシートで暮らしていた。
その公園の隣にあった古い雑居ビルで
創業間もないワシらは、
ひたすら原稿を書いていた。
その部屋の窓越しに、
しばしばタヌキの親方の歌声が聞こえてきた。
それはいつも夕暮れ時だった。
タヌキの親方は弦が2本だけ貼ってあった
壊れかけのクラシックギターを抱え、
ビロンビロンと鳴らしながら
「タヌキの親方は〜」といつも連呼していた。
その歌が終わると、
夕暮れの空に向かって
「おかあちゃ〜ん・・・おかあちゃ〜ん」
と泣くように叫び続けた。
哀愁が漂っているようだけれど、
タヌキの親方は機嫌がいい時と悪い時があって、
歌わない不機嫌な日には
その公園を通りかかるヒトに向かって
「なんだよばかやろうおまえなんかこのあほんだらが!」
と怒鳴り散らすのだった。
その奇行は、
近所の誰かが通報しているらしく
警察沙汰にもなっているのを見かけたりもした。
タヌキの親方は決まって
「俺は誰にも文句なんか言っとらんて!」
と叫んでいるのが
オフィスに聞こえてきたりもした。
私たちはほどなくして
この寂れた雑居ビルを退去して引っ越してしまい、
その後のタヌキの親方の行方を知らない。
今、その公園の場所には
大きなマンションが建っている。
タヌキの親方は元気だろうか。
どんな歴史を経て
あの場所で暮らしていたのか、
どんなおかあちゃんを偲んでいたのか、
なぜタヌキの親方の歌を唄っていたのか、
どんなストレスを抱えて怒鳴っていたのか、
私たちはそれを想像できなかった。
タヌキの親方の歌声が
まだ脳裏の耳の中でこだましている。
それから20年も経ったんだなあ。
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