こうしてジオコスは
働く魅力を言葉にする仕事を始めました
創業者伊藤秀一の生い立ちで伝えるジオコスの理念
ジオコスがジオコス目線にたどり着いたルーツがここに
夢だけじゃ暮らせない♪
と唄って夢見る矛盾に気づいてない…
シャレにもならんおめでたさ。
努力のできないグータラ者でした。
成績優秀で褒められた経験はありません。
ロックンローラーの道を進みたいと思ったところで、
ヘタでオーディションに落ちる落ちる。
“夢〜だけじゃ暮らせない♪”
なんてノーテンキに唄っていた小僧が
実は夢だけ見て暮らしていた‥‥って、どんだけバカなの。
不良仲間。バンド。シャコタン。自堕落な毎日…。
社会の底辺を這っていたのです。
TVドラマに自分の将来が
透けて見えてショック。
大学進学、ソッコーやめた。
当時のテレビドラマにどっぷり影響されてしまったのです。
「ふぞろいの林檎たち」という若者群像劇でした。
三流大学を卒業して中小企業に就職し、
あちこちでバカにされながら働く。
そこに描かれたストーリーに我が身の将来が見えました。
そんな人生まっぴらだ!
音楽で食えないならクリエイターになろう!
カタカナ職業で食っていこう。
と言って、何も行動せずに『フリーター』になった。
ま、一応カタカナ。親は泣いた。。。。
カタカナ職業、
ラクでいいかもしれん。
怠け者は軽く考えた。
コピーライターって、
あのサントリーの広告みたいなヤツ?
詩を書くみたいなもんだよな。
オレだって歌詞なら書いたことあるし。
デザイナーって絵を描きゃシゴトになるんでしょ。
なんか楽しそうじゃん。
プランナー?考えるだけか!マーチャンダイz‥‥?…知らん。
カタカナ職業っていうのはえらいラクでかっこいい仕事だな。
‥‥バカ丸出しで憧れました。
『フラフラしてるなら
正社員で働かんか?』
バイト先の工場長は言いました。
部品メーカーでバイトしていました。
社員並みに機械操作を覚えたし、
夜勤や休日出勤まで引き受ける勤勉ぶり。
すると「正社員で働かんか?」とありがたいオファー。
でもその時にすぐに気づいた。
オレの人生、この工場勤務じゃ終わらんぞ!と。
『工場長、人生の大事なことに気づかせてくれてマジあーざす』
本気でシューカツしてみるか…と。
あなたの人生のカウントダウンは
すでに始まっている。
…と問いかけられ、衝撃。
『999、998、997、996、995‥‥‥‥。
あなたの人生のカウントダウンは
生まれ落ちたその日からすでに始まっているのです。
ただ組織の歯車として人生を費やすのですか?
自分らしく生きていきませんか?
我が社で自分らしさを活かしましょう。』
‥‥そう書かれた求人広告に心を射抜かれてしまいました。
「まったくその通りだ!この会社スゲー!」
あっという間に完落ちでした。
よし!オレはこの会社に応募しよう!
人生を変える言葉を
考えているヤツがいる。
と、気づいた転機。
毎週みる求人誌で気になる会社はいつもまったく同じ。
グサグサと心に刺さるメッセージでした。
にもかかわらず、躊躇って応募できなかった。
勇気がないわけじゃないのです。
その求人広告が家具小売店の販売職だったからです。
「家具に興味あるのか?販売職がいいのか?」
ふと、気づきました。
自分はこの求人広告のコピーを考えた人に
人生を変えそうなほど心を動かされたのだ、と。
これ考えた人、すごくないか?
面接で叫んだ。
この家具屋の求人広告を
作った人と仕事がしたい!
求人誌の発行元であるリクルートが
制作職をアルバイター募集していることを知りました。
日給5800円。全然高給じゃない。
でも銭カネのことはどうでもよかったのです。
「コレを作った人と働きたいです!」
切り取った家具屋の求人広告を見せて面接官に主張した1987年。
「アンタの面接は覚えてるよ」と当時人事だった先輩が
今でも覚えてくれています。
そりゃそんな主張する坊主は稀有すぎる。
22歳の春、
サラリーマンデビュー。
でもアルバイトだけどね。
ちょうど22歳の4月。
同世代が正社員の新卒入社の時期でした。
みんなスゲー大学を出てる‥‥。
あれ?オレってこの会社で一番アホなんじゃね?
リクルートという組織が大きな会社だと知らずに入社したのです。
そして晴れて希望通り、家具屋の求人広告を作った上司のもと、
アルバイト制作スタッフとして働き始めました。
この日を境に私は生まれ変わったと思っています。
オマエの書く字まで
バカに見えると言われ半泣き。
ハラスメントなのか?
上司は鬼でした。
書いた原稿用紙は丸めて床に捨てられ、毎日怒鳴られる。
「オマエのようなノロマはクビだ。今すぐ帰れ!」
と、椅子を蹴飛ばされた。
「オマエの書く字は頭が悪そうだ。硬筆からやり直せ」
「オマエはバカだから人の倍の努力じゃ話にならん。
人の十倍やってから“努力した”と言え」と。
ボロクソだったけどパワハラだとは思わない。
だって言われてること、全部正しかったから。
人生の師は本気で
キザで暑苦しい言葉を語る。
愛だろ、愛。
ある日、移動の電車の中で
「車両の中吊広告なんか全部ヘタに見えるぐらいの
クリエイターに育ててやるからな」
と、私の肩にポンと手を乗せて上司がキザに言った。
徹夜の続いた超多忙な朝には、
「秀!今が勝負だ、頑張るんだぞ!」
と走り書きのメモとユンケルが残っていた。
もうそれだけで愛があった。信じた。
本当に人の十倍努力をしようと思えた。なんと単細胞なセーネンよ。
人生初の猛烈努力。
仕事を伝える仕事って
面白い面白い。
来る日も来る日も企画案を書いた作った貼り込んだ。
コピーを書く、デザインを組む、
深夜のカメラマンスタジオで意志を伝える、
夜が明けると営業と同行して、
ジワジワと成長している気分に酔った。
今じゃありえない超絶ブラック労働さえ自慢のタネ。
けれどおかげで成果の出し方が見えてきた。
社内で讃えられる機会が増えて、‥‥あれ?もしかしてオレ、いけてる?
学歴がクソでも
働いて逆転できる
オレがそのお手本だ。
社内で存在感を示し、登用比率1%と言われた正社員にもなった。
組織内で常にランキング上位なんて
初体験だったからそりゃもう有頂天。
『学歴ハンデは社会に出てから絶対に逆転できる!』
『育ちの悪い野良犬野郎でも努力すればちゃんと一人前になれる!』
自信満々でいばり散らすうちに気づいた。
世の中の人にも仕事の意義をもっと伝えよう…と。
そして、株式会社ジオコスが誕生した。
現場の日常と
働く人の価値観に
共感させる価値観。
かつて憧れた家具屋の求人広告じゃ訴求不足だと気づいた。
リアルな現場、日常をイメージさせ、
ぶち当たる壁と苦労、乗り越えた先の達成感を伝え、
どんな空気に包まれ、誰と過ごすのかを見せ、
覚悟させることこそ我が使命ではないか。
応募の数を目指すのでなくターゲットの心にだけ届けばいい。
私たちが発揮するクリエイティブとは
リアルな情報発信にでミスマッチを低減させることだ。
そして今も、
非効率な仕事っぷり健在。
どうにもならん。
今では仲間が増えました。
ジオコスの価値観は踏襲されています。
顧客の現場にクドいほど足を運び、時には行きつけの居酒屋まで偵察し、
組織の風土を実感してから私たちの仕事が始まります。
耳障りの良い訴求でごまかさないので
顧客理解にも時間がかかってしょうがない。そりゃめんどくさい。
効率の悪いやり方を繰り返しています。
でも残念ながら(?)変わることはなさそうです。
字を起こすジオコスは
自事時地次慈も
興していこう。
私たちの商売はサブスク型でもストックビジネスでもなく、
悔しいけれど決して急成長も急拡大もしない。
それでも創業から四半世紀が過ぎました。
私たちが愚直に続けてきたことに
価値を感じてくださった顧客と協力者ありてこそです。
感謝とともに自らも誇りをもって臨み続けたい。
大儲けしたわけじゃないけれど、世の中に胸を張っていい。
‥‥と、思いませんか?